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アンガールズから目が離せない [芸人評]

オオギリンZを見てから、どうも彼らが頭から離れない。
何かが胸につかえて気持ち悪いのだ。
どこに行き着く文章になるか分からないのですが
本日はアンガールズについて書きたい。

先日のエントリでも書いたのだがオオギリンZでの
アンガールズ田中の回答は素晴らしかった。
発想が飛びぬけている分けではない。
しかし大きく外さないのだ。
”自分が何を求められているのか理解している”といった印象を受けた。

お題に対して面白いことを考えるのが本来の思考過程だろう。
しかし彼の場合、まず出題者が求めているであろう回答を推測し
その中で面白い回答を選択しているように見えた。
相方の山根が”田中は器用なんですよ”と発言していたが
本当にそのとおりだと感じた。
そういった意味で客観性に優れているといえよう。

彼らは2パターンのコントを持っている。
1つは長編コント。
もう1つは”ジャンガジャンガ”でおなじみのショートコントだ。
オオギリンZで認識した彼らの特性から考えると
長編コントは”自分達の気持ち悪さ”を客観視して
気持ち悪さを際立たせ、笑いにしていおり
ショートコントは日常を客観視して
ふとあるグダグダな状況を綺麗に切り出していると見えなくもない。

また全体的に言えることとして
彼らのコントは極端にテンポが遅い。
誰でもピカソでそれに言及していたのだが
自分達の活舌の悪さをカバーする為にはこの方法しかなかったと
田中が話しており、ここでも客観性の高さが伺える。

でもこれだけでは何かが足りないような気がするのだ。
「完全な予定調和の不協和音」を奏で続ける彼らを説明するには何かが足りない。
たぶんこれが胸につかえた何かなのだ。
キャラクターで片付けられない何かがそこにありそうな気がしてならない。

さて、どこにも着地しない文章になりかけている。
見極めてから文章にすればよかったのだが、書かずにはいられなかった。
それほどまでに僕は彼らの能力の高さを認識した。
僕は彼らは司会等が出来ない、いじられる側の芸人だと思っていたが
その逆も実は出来るのではないだろうか?
そんな番組を是非見てみたい。


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天丼芸人タカアンドトシ(オンエアバトル・ファイナル2005) [芸人評]

オンエアバトルのファイナルが先週土曜日に放送された。
結果は以下。

             1位 タカアンドトシ 986KB
             2位 アンタッチャブル 926KB
             3位 三拍子 834KB
             4位 タイムマシーン3号 814KB
             5位 磁石 790KB
             6位 麒麟 722KB
             7位 飛石連休 686KB
             8位 キャン×キャン 666KB
             9位 ハマカーン 642KB
             10位 トータルテンボス 492KB
             11位 パンクブーブー 362KB
             
下位から、ずらっとコメントしてみたい。
             
”パンクブーブー”はルミネで前説をしている頃から知っているが
昔よりパワーダウンしている気がする。
キャラクターに頼りすぎなネタ展開で客が飽きていたのでしょうがない。
             
”トータルテンボス”のネタは10位にいるほど悪くなかった。
特に前半の言葉遊びはとても彼ららしくて良かった。
が後半が尻つぼみだった、これが採点に響いたのかもしれないが
10位はないよなぁ。。。と感じた。
             
”ハマカーン”よ。。。どうした!!??どこで笑えというのだ!!??
ツッコミが下手すぎる。ボケを大切にしている感じが全くしない。
前へ前へ出ようとする気持ちが空回りしているように見えた。
            
「テンポが良い≠テンポが速い」
            
だと声を大にしたい!!速いのがテンポが良いのではないと考える。
他にもこれを勘違いしているコンビが多い。 
              
”キャン×キャン”。。。コメントできません。
彼らが売りだと思っている部分は他のコンビがやりつくしている。
違う方向へ進むことをお奨めする。
    
”飛石連休”の評価は過去、僕の中で意外と高かった。
色々な漫才の形を模索していたからだ。
例えば漫才が終わると見せかけて終わらないネタのパターンがあるが
飛石連休はかなり昔からこの手法を取り入れて模索していた。
今までの漫才を相対化していたわけだ。
今回のネタは形を模索することなく、どこかで見たことのあるネタを
ただつなぎ合わせただけのように見えた。
非常に残念だ。

”麒麟”は1番手で登場した。
それもあってか、ネタの内容より評価がかなり低い。
今まで見た麒麟のネタの中で1,2番に好きなネタだったのに。。。 
しかし、去年のアンタッチャブルは1番手であったのにもかかわらず
チャンピオンになっているということを考えると
ネタの勢いという面で足りない部分があったのかもしれない。         
             
”磁石 ”は準決勝に引き続き良いネタを披露していた。
突き抜けた感じが出てきている、今年の彼らに注目だ!!!!
ただ、ネタの流れが細切れになっている部分が多く
全体的な流れを考えたネタを見てみたいというのも本音である。

”タイムマシーン3号”。。。またいつものデブネタ。
もういいよ!!太っているってのは分かっているよ。
技術は高い、それは認めます。
違う方向のネタを見せてください。
それとツッコミの髪型が気持ち悪いので直してください。

”3拍子”のネタって笑いどころ分かりましたか?
つかみで失敗してテンションで持っていったが
笑いどころに客が気づかない等の失態があった(ツッコミの失敗だ)。
なぜに3位!!??
後に全く残らない彼らの芸風が個人的に好きになれないだけなのだろうか?
悔しいのでこれから何回か見てじっくり考えたい。

”アンタッチャブル”は去年と違い、くじ運が良く順番的に有利だった。
ネタも悪くない、去年からの勢いそのままだ。
途中で数回スベッたものの、ツッコミでカバーできていたし
彼らのネタを見終わった後に2連覇の3文字が僕の頭をよぎった。
客のウケがそれほど高くなかったことが気になりながらも。。。
 
”タカアンドトシ”を見たときに僕は麒麟、アンタッチャブル、タカトシの
どこかが優勝すると思った。
タカトシは今回も漫才の技術が高いことを見せ付けた。
結果、タカトシの優勝。
素直におめでとう!!と言えない部分もあるのだが
決勝メンバの中で一番客を巻き込んだネタをやっていた。
また、漫才前のコメントで”チャンピオン”という言葉を使ったのは
確かタカトシだけだった。
そのような意気込みの違いがこの結果を生んだのかもしれない。

ということで優勝を記念してタカトシについて論じてみたい。
彼らは古典的な漫才の基本を忠実に守りながら今のスタイルを確立した。

僕は彼らのことを”天丼芸人”と勝手に名づけている。
天丼とは芸人用語で、同じことを2度3度言って笑いを取る手法なのだが
タカトシは色々な天丼の方法を持ち、それを駆使している。

  ・通常の天丼ボケ・・・同じボケを話の流れと関係なく繰り返す
  ・通常の天丼ボケ+3段オチの合わせ技
             ・・・天丼を繰り返すのを前フリにして
                3回目に全く違うボケまたは駄洒落的な要素のボケを
                もってくる事で古典的な笑いの取り方を網羅する。
  ・時間差天丼・・・漫才のツカミで使用したボケや中盤に使用したボケを
            終盤になってもう一度使用する。
  ・ツッコミ天丼・・・種類の違う細かいボケを繰り返し
            それに対して同じツッコミを繰り返す。
            本来は天丼はボケが行うものだが、それをツッコミに応用したもの。
              
彼らのネタを見ていると、ほとんどが上記の要素で構成されているので
天丼芸人と呼んでいる。
人によっては”クドイ”と感じるかもしれないという側面を持つ一方
ツボに入れば爆笑を連続して取れる。
同じボケを繰り返すので当然といえば当然の結果なのだが
ハイリスクハイリターンなスタイルだと僕は感じている。

では、彼らはこのリスクをどのように回避しているのだろうか?
僕にはこの回答が見えない。
つまりリスクを負ったままスタイルを確立させているように見えるのだ。
例えば一見新しい”ツッコミ天丼”も言葉の緩急をつけることはなく
ただハイテンションでツッコミ繰り返すなど工夫が全く見られない。

前述したが、彼らは漫才の基本を忠実に守る芸人だ。
この天丼多種多用というツボに、はまらなければ古い漫才を見せられているにすぎない。
今後、彼らが何らかの方法でこの問題を回避しない限り
息の長い漫才師にはなれないのではないだろうか?

今回のチャンピオンベルトは彼らにとって、とても重いと考える。


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進化し続けるアンタッチャブル [芸人評]

去年のM-1で優勝を果たしたアンタッチャブル。

彼らは今年で芸暦11年目だ。
暦で言えばすでに中堅でもおかしくない年代である。

やっているネタが昔と違うのかといえば全くそんなことはない。
彼らの代表作”親友”ネタなどは、僕が記憶する限りで7,8年前からやっているネタだ。
親友の定義ってなんだろう?から始まり、受験に失敗した親友を適当になぐさめるといった
流れも全然変わっていない。

何故去年というタイミングで世間に認められ始めたのだろうか?
本日はこのような視点でアンタッチャブルについて考えてみたい。

昔と今の漫才を見比べると全く印象が違う事が分かる。

以前はテンポが一定で耳から入った言葉が右から左へ、ただ抜けていく感じがしていた。
漫才の技術は高いにも関わらず、全くネタの印象が残らない。
次にツッコミ。
ボケの軽さに対してツッコミが重過ぎる。
ボケとツッコミのサイズが合わないほど、見ていて苦しいことはなく非常にバランスが悪く見える。

現在、上記に挙げた印象は180度違う物になっている。
ボケ山崎の成長もさることながら、ツッコミの柴田を賞賛したい。

まず最初に挙げた、印象に残らないという問題に大して柴田は面白い方法を見つけた。
山崎がボケたあとの柴田に注目して欲しい。

”すぐに突っ込まず、一度”ウン”と頷いてからツッコんでいる”

この効果は絶大だ。
右から左へ流れていた言葉を、一旦堰き止める。
堰き止めてからツッコミを入れるので、その間に客が想像する時間が作られる。
その想像する一瞬の間を作ることが彼らを劇的に変えた。
山崎の適当なボケと柴田のテンションの高いツッコミに対して
この間が必要だったのだ!!

思考と水は同じだと考える。
流れのある物が一度堰き止められ開放されると、加速する。

アンタッチャブルのネタを見ていて一気に加速する瞬間を味わったことがないだろうか?

次にツッコミの重さ。
柴田は特殊なツッコミだ。
例えたり、一言添えたりと重たいツッコミをする。

柴田は昔、このツッコミを直に山崎のボケにぶつけていた。
しかし最近は、山崎のボケに対してツッコミは軽めの
”なんでだよ”程度で済まし
その後、もう一度例えたり、一言添えるツッコミをするという
”2段階ツッコミ”を使用するようになった。
この方法を使う事によって、ボケとツッコミの重さのバランスが合い
さらに、山崎のボケの軽さ、適当さを引き立てる効果をもたらしている。

また、上記のような変化もさることながら
彼らはネタをマイナーチェンジすることが多い。
同じネタでも本筋は変化させず、細かいボケを常に変え続けている。

彼らはこのような進化し続けた事で去年、花咲いたのだ。

きっと彼らの進化は今後も続くだろう。
アンタッチャブルにとって2度目のお笑いブームは
彼らの雑草のような強さを証明した。


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ドリフターズの今後 [芸人評]

こんな記事を読んだ。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/kiji/2005/03/13/04.html)

早いもので、いかりや長介が亡くなってから1年がたったのだ。
「偲(しの)ぶ会」が先日開催され
その席での”ドリフターズ”のコメントが記事になっていた。

加藤曰く、「4人でドリフターズを継続したい」とのこと。

継続したドリフの内容は目に見えている。
いつか、長介の葬式やエピソードをネタにするだろう。
そして天国の長介に怒られるのだ。

ドリフターズの軸は間違いなく”いかりや長介”という絶対的な存在だった。
その彼がいなくなったドリフターズが行き着く道は上記の方向しかありえないと考える。

それほどまでに”いかりや長介”という存在は大きい。
彼なしにドリフターズは存在し得ないだろう。
残されたメンバーが”いかりや長介”本人を相対化してしまったら
ドリフターズとして活動できなくなるのではないかと心配してしまう。。。

だとすれば、僕はそれぞれのフィールドで本気の笑いを追求している姿が見たい。
残されたドリフターズのメンバは別々のフィールドをすでに持っている。
バライティ番組しかり、コント番組しかり、コブ茶バンドしかりだ。

僕は間違いなくドリフターズ世代だ。彼らの伝説を常にリアルタイムで見てきた。
なるべくなら、ドリフターズという輝きが失われる姿を見たくない。


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笑福亭鶴瓶に幸あらんことを!! [芸人評]

笑福亭鶴瓶。
彼は出演者(芸人、素人)に問わず同じ視線に立とうとする。
故にTV画面上では簡単に扱われがちだ。
それもあってか、僕の周りで笑福亭鶴瓶の評価は低い。

嫁と出会ったとき、まず鶴瓶について語り明かした。
とりあえず、”朝まで生つるべ”を見るんだ!!と指示を出し
その結果、嫁の鶴瓶評価が見事に変わり安心したのが懐かしい。

本日は、笑福亭鶴瓶の評価が世間で低すぎる!!と叫ばさせて頂きたい。

”前進することを忘れた芸人は土俵から早く立ち去れ!”と僕は思っている。
それは次世代の若者に対するマナーでもあり
醜態をさらす前に自分で幕を引くべきだと考えるからだ。

今のお笑い業界は上が詰まりすぎている。
結果、実力のある若手にチャンスが回らないことが、しばしばある。
(誰とは言及しませんが。。。)
そんな中で、若手以上に笑いに対しての探究心が高いベテラン芸人がいる。
笑福亭鶴瓶だ。

彼の向上心、探究心にはいつも頭が下がる。。

僕が決定的に彼を好きになったのは”ごっつえぇ感じ新人オーディション”だった。
ごっつえぇ感じは終盤でYOUの篠原がレギュラからぬけ、男芸人だけになった期間が存在する。
その際に開催されたのが新人オーディションだ。
確か3週間にわたって放送され、笑福亭鶴瓶、ガッツ、八代亜紀がオーディションに参加した。
(無理やり新人という設定のもとに(笑))

新人なのでダウンタウンの命令は絶対だ。
本当にくだらない、パントマイムやゲーム、モノマネなどを披露させられた。
鶴瓶クラスの芸人であれば、そんな言われたことをやらず笑いを取ることも可能だろう。
しかし鶴瓶は違う。
その状況下にいる自分を認め、必死でダウンタウンを笑わそうとしていた。
”どや!!??面白かったか??”
とオーディションのコーナが終わるたびに聞く鶴瓶の姿は滑稽であるとともに
芸人魂を見せ付けられた思いがした。

近年も芸人魂の火が小さくなることが無い。
年末に毎年開催される”朝まで生鶴瓶”。
これは4~5時間一人で喋りっぱなしという離れ技を披露してくれている。
すばらしい”話芸”である。

さらに特筆すべきは”無学の会”の存在だろう。
(詳細は以下HP参照)
鶴瓶は無学という小屋を作った。
そこに若手からベテランまで鶴瓶が面白いと思った芸人を呼び
毎月(隔週なのかな?)イベントを開催している。
また、近年落語に力を入れていることも記しておきたい。

何なのだ!!この飽くなき笑いへの探究心!!
そんな男の口癖。

”おもろなりたーーーーーーい!!”

50過ぎたおっさんが、本当に心の底から願っているのだ。
(行動を見ていれば十分過ぎるほどに良く分かる)
これも滑稽で笑えるが、こんな芸人魂を持った男をなかなか見れた物ではない!!

そんな彼が思う”面白い”とはどんなものなのだろうか?
僕は興味津々だ。
彼の思う完成系へ近づいて行く姿を見ていたい。

最後になりましたが、鶴瓶は”つるべ”と読みます!!
決して”つるべー”ではありません!!
この男の名前を間違えて欲しくない。

無学の会HP:
http://www.tsurube.net/

詳細なプロフィール:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E9%B6%B4%E7%93%B6


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熟したバナナマン [芸人評]

ばななんばななんばぁーなぁーなぁって歌を覚えてますか?
これで大体の年齢がばれてしまいますね、はい。
本日はバナナマン。

バナナマンは常に売れそうで売れない。
自分でも、この微妙なポジションが良いんだ!!なんて
発言しているのも聞いたことがある。
僕は彼らを眠らせておくのがもったいないと感じている。

彼らは日本ならでは,わびさびを理解した芸人だ。
まず、二人の面がわびさびで満ち溢れている。
いい感じのブサイクと、いい感じのチンピラ(やや二枚目)顔。

次に演じているキャラクタ。
飛んだキャラから、いそうでいないが絶妙にずれたキャラまで
そつなく奴らはこなす。
ブサイクの突っ込みもかなり良い。
突っ込みというより,ビックリor慌てor怒りのいずれかがしっくりくる感じだ。
見ていて良く思うのはきっと彼らの笑いは日本でしか通用しないし
日本人でも、わびさびを少しでも感じれる人でないと理解できないかもしれない。

さて話は変わり、バナナマンという名前の由来。
外人が日本人をさすスラングとしてバナナというのがある。
皮膚は黄色なのに中身は白人を目指しているように外人からは見えるらしく
比喩してバナナと呼ぶらしい(殺意すら覚えますが...)
これを彼らは面白がってバナナマンと名づけたそうです。

外人は知らないのでしょうか?
バナナは熟さないと黄色にならない。
彼らの熟した芸を見て欲しい。
そして今こそバナナマンの叩き売りだ!!!
日本男子魂で突き進め、バナナマン!!!


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TV業界へ戻って来い!!ラーメンズ!! [芸人評]

ラーメンズ。
独自路線をひた走る、笑いの探求者だ。
彼らは少し前に大きな方向転換をした。
僕は彼らの舞台、CHERRY BLOSSOM FRONT 345より前を第一期ラーメンズ。
ATOM以後を第二期ラーメンズと勝手に呼んでいる。

第一期。
彼らはまず、゛新橋!゛というフレーズを前面に出すネタで注目をあびる。
同時期に爆バドや、いろもん内のコーナー、笑いの巣メンバとして少しずつテレビに出始めていた。
その当時、TV効果で舞台の客数が10倍に跳ね上がったそうだ。

新橋ミュージックホールという番組に出演したことがあった。
ビートたけし、トータス松本、ユースケがやっていた深夜番組で
シンバシ!!ネタをショートバージョンで披露した。
たけしは彼らを

”飛び道具ネタだな”

と評した。
その時ラーメンズ小林の顔が一瞬曇ったように見えたのを
僕は今でも忘れられない。

そんな矢先、彼らはテレビから姿を消す。
自ら身を引いたのだ。
理由は一つ。
ラーメンズのネタはテレビ向きではない。

最近の若手はショートコントやギャグを必ず持っている。
何故ならテレビという市場でそれを求められるからである。
今のテレビは編集を重ねて作りこむものが多く
編集しやすいネタ、つまりショートコントやギャグが喜ばれるという仕組みだ。
(また当時のTV業界は今のように”ネタ”をきっちり放送してくれる番組が
ほとんどなかった事も記しておきたい。)

第一期ラーメンズのネタに編集出来るものは少ない。

あるインタビューで彼らは答えた。
舞台のネタを切り売りしているのがTVのラーメンズだ。
本物は舞台で見て欲しい。
そこでしか本物のラーメンズは見れないと。

彼らのネタは緻密だ。
”こんなところに前フリが転がっていて、ここで落とすのか!!??”
という驚きを何度となく味わった。
その緻密さゆえにTVでの編集を許さないネタになっている。

また、ゲラゲラ笑える面白さだけでなく、笑いの物悲しさを
上手く表現できるのも彼らのずば抜けた能力のひとつだ。
僕は第一期の舞台で笑い、その余韻で切なさを覚えた。

このまま、揺るぐことなく進むと思っていた彼らは
ATOMから方向転換をする。

第二期。
自分で否定したはずの
”TV的なネタ”
を舞台上で多く演じるようになる。
ATOM以降のネタは編集しても楽しめると思われる作品がかなり多い。

爆笑の数は増え
余韻は少なくなった。

あるラーメンズファンサイトがあった。
そのサイトの最後の言葉を書き留めておきたい。
”意味のない箱を見せられているようだ”

僕が感じた物はそこまで極端ではないが
言いたいことは痛いほど良く分かる。
しかしそんな風にラーメンズを諦められないのだ。
彼らはここで止まる芸人ではないと信じている。

そこで、声を大にし叫びたい。

”TV業界へ戻って来い!!ラーメンズ!!”

今のラーメンズが演じているものを舞台でやる必要はどこにもない。
だとすれば、今やっている事をとことん突き詰めてほしい!!
そう、彼らは笑いの探求者なのだ。
この中途半端な状況を打破するには、それしかないと信じている。
(まだ、公演中の”アリス”を見ていないので、これが正しいか分からないのだが。。。)

その後に何かが待っているような気がする。

以下、僕が思うラーメンズの名作です。

【第一期の名作】
読書対決(news)
器用で不器用な男と不器用で器用な男の話(鯨)
日本語学校アメリカン(椿)
蒲田の行進曲(CHERRY BLOSSOM FRONT 345)

【第二期の名作】
新噺(ATOM)
バニーボーイ、帝王閣ホテル応援歌(CLASSIC)
study、QA(Study)


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笑い飯の真髄はダブルボケにあらず!! [芸人評]

3年前のM-1でまさしく彗星のように現れた彼らであるが
当初からダブルボケであることに注目が集まっている。
しかし、彼らの真髄はそこにはないと最初に断言する。

ダブルボケというスタイルは特に新しいものではない。
簡単に思い当たるところとして”やすきよ”がダブルボケの筆頭だろう。
”やすきよ”は漫才中によくボケと突っ込みが入れ替わるコンビであった。
漫才ではないが、”ウンナン”もダブルボケである。
どちらが突っ込みだか分からない、などと昔は悪評されたものだ。
最近では”ダイノジ”もダブルボケスタイルのネタをやっていたりする。

さらに、つまらない芸人ほどダブルボケスタイルをやりたがる風潮が
今のお笑いブームが来る前までにあった。
それが上手くいかない理由は一つ。
ダブルボケにはダブル突っ込みが必要なのだ。

まとめると、ダブルボケというスタイルは突っ込みとボケという力量を必要とし
難しいものではあるが、けっして新しいものではない。

本題。
笑い飯の漫才の真髄はなにか。

 1.ボケの数の多さ
 2.語感を大切にする
 3.新しい漫才リズムの確立

この3つだと考える。
まず、彼らの漫才はとにかくボケの数が多い。
数を多く出すだけでなく、ボケの種類がとにかく多い。
彼らが”松紳”に出演した際、松本が
”なんであのボケができるのに、こんなつまらないボケをネタに入れるのか!!??本当に度胸がある”
と評していた。
これに対して彼らは
”調子よくドカンドカンうけていても、一瞬ぴたっと笑いが止まることがある”
”それでも言いたくなることを言いたい”
と答えていた。

僕はこれをこのように捉えている。
彼らはみんなにうけたい、全員を笑わせたいと考えているのではないかと。
そして、お互い自分が全員を笑わせたいのだ。
しかし、笑いの”つぼ”はみんな違う。
それを結果的にカバーする方法のひとつが乱れ打ちという手法ではないだろうか。
一瞬止まる笑いというリスクを負うとしても。

次に彼らのボケは語感を大切にしているものが非常に多い。
言葉の響きを楽しんでいる。
そして、それを聞いた僕らは、彼らの発した言葉を使いたい衝動にかられてしまう。
それらのボケをあげると、きりがないので列挙はしないが
彼らが口にした言葉をついつい言ってしまった事が、思い当たらないだろうか?
面白いが忘れてしまう、その場だけのボケも良い(今年のアンタッチャブルはその筆頭だ)
しかし、言葉に発してしまうくらい染み付く言葉の余韻も
お笑いの醍醐味の一つであり、個人的にはこちらの笑いが好きだ。

そして、1番大きいのが新しい漫才リズムの確立だと考える。
漫才を評する時に8ビート漫才、16ビート漫才など音楽に例えられる事が多い。
これは一定のリズムの漫才が多かったことを指している。

彼らのリズムにJazzを感じる。

僕はリズムと音しかない音楽に没頭していた頃がある。
”音を足して、空間を埋めるよりも
必要最小限の音を選択し、いかに良い間(ま)を作るか”
音楽を作る上で身に付けた僕の鉄則だ。
そう、足すより引くことの方が数倍難しくセンスのいるものなのだ。

笑い飯の引き算のセンスはずば抜けている。

話を戻す。
彼らの特性としてボケの多さを挙げた。
しかし、彼らの新しい漫才リズム
Jazzのような独特なリズムによって、その多さよりも面白さが前に出る。
前に出たその言葉の語感が人の心を掴む。
結果、彼らしか出来ない漫才になっている。
これが笑い飯の真髄ではないだろうか?

彼らの評価は真っ二つに分かれているように見える。
しかし笑い飯の漫才中に1回でも笑ったら、彼らの勝利なのだ。
恐ろしい芸人である。


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ダイナマイト四国 [芸人評]

ココリコ遠藤。
まさか、彼のことを芸人評として最初に書くとは思わなかった。。。
(そのくらいが丁度良いのかもしれないと納得)

最近、静かなブーム(?)を呼んでいるダイナマイト四国。
プロレス好きなら誰のパロディかすぐ分かると思うが
ほとんどの人は元ネタを知らないだろう。
それでも、なぜか笑ってしまう何かがある。。。

弱いのに人気があるというのも泣かせる話だ。
WEBを徘徊してて拾ったのだが
ガキの使い罰ゲーム特番で使用された
ダイナマイト四国のスポーツ新聞。
つっこみ所が満載でかなり楽しまさせて頂いた。

”ほほほい”もそうであったが
突如、遠藤はホームランを打つことがある。
しかし彼の本質はコツコツヒットを打てる事だろう。
僕は彼の、なだめるような突込みが好きだ。


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