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笑い飯の真髄はダブルボケにあらず!! [芸人評]

3年前のM-1でまさしく彗星のように現れた彼らであるが
当初からダブルボケであることに注目が集まっている。
しかし、彼らの真髄はそこにはないと最初に断言する。

ダブルボケというスタイルは特に新しいものではない。
簡単に思い当たるところとして”やすきよ”がダブルボケの筆頭だろう。
”やすきよ”は漫才中によくボケと突っ込みが入れ替わるコンビであった。
漫才ではないが、”ウンナン”もダブルボケである。
どちらが突っ込みだか分からない、などと昔は悪評されたものだ。
最近では”ダイノジ”もダブルボケスタイルのネタをやっていたりする。

さらに、つまらない芸人ほどダブルボケスタイルをやりたがる風潮が
今のお笑いブームが来る前までにあった。
それが上手くいかない理由は一つ。
ダブルボケにはダブル突っ込みが必要なのだ。

まとめると、ダブルボケというスタイルは突っ込みとボケという力量を必要とし
難しいものではあるが、けっして新しいものではない。

本題。
笑い飯の漫才の真髄はなにか。

 1.ボケの数の多さ
 2.語感を大切にする
 3.新しい漫才リズムの確立

この3つだと考える。
まず、彼らの漫才はとにかくボケの数が多い。
数を多く出すだけでなく、ボケの種類がとにかく多い。
彼らが”松紳”に出演した際、松本が
”なんであのボケができるのに、こんなつまらないボケをネタに入れるのか!!??本当に度胸がある”
と評していた。
これに対して彼らは
”調子よくドカンドカンうけていても、一瞬ぴたっと笑いが止まることがある”
”それでも言いたくなることを言いたい”
と答えていた。

僕はこれをこのように捉えている。
彼らはみんなにうけたい、全員を笑わせたいと考えているのではないかと。
そして、お互い自分が全員を笑わせたいのだ。
しかし、笑いの”つぼ”はみんな違う。
それを結果的にカバーする方法のひとつが乱れ打ちという手法ではないだろうか。
一瞬止まる笑いというリスクを負うとしても。

次に彼らのボケは語感を大切にしているものが非常に多い。
言葉の響きを楽しんでいる。
そして、それを聞いた僕らは、彼らの発した言葉を使いたい衝動にかられてしまう。
それらのボケをあげると、きりがないので列挙はしないが
彼らが口にした言葉をついつい言ってしまった事が、思い当たらないだろうか?
面白いが忘れてしまう、その場だけのボケも良い(今年のアンタッチャブルはその筆頭だ)
しかし、言葉に発してしまうくらい染み付く言葉の余韻も
お笑いの醍醐味の一つであり、個人的にはこちらの笑いが好きだ。

そして、1番大きいのが新しい漫才リズムの確立だと考える。
漫才を評する時に8ビート漫才、16ビート漫才など音楽に例えられる事が多い。
これは一定のリズムの漫才が多かったことを指している。

彼らのリズムにJazzを感じる。

僕はリズムと音しかない音楽に没頭していた頃がある。
”音を足して、空間を埋めるよりも
必要最小限の音を選択し、いかに良い間(ま)を作るか”
音楽を作る上で身に付けた僕の鉄則だ。
そう、足すより引くことの方が数倍難しくセンスのいるものなのだ。

笑い飯の引き算のセンスはずば抜けている。

話を戻す。
彼らの特性としてボケの多さを挙げた。
しかし、彼らの新しい漫才リズム
Jazzのような独特なリズムによって、その多さよりも面白さが前に出る。
前に出たその言葉の語感が人の心を掴む。
結果、彼らしか出来ない漫才になっている。
これが笑い飯の真髄ではないだろうか?

彼らの評価は真っ二つに分かれているように見える。
しかし笑い飯の漫才中に1回でも笑ったら、彼らの勝利なのだ。
恐ろしい芸人である。


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コメント 8

pinky_girl

ホッ━━━(゚ロ(゚ロ゚(゚ロ゚)゚ロ゚)ロ゚)ホ━━━ッ!!!

読んでいてなるほど~って思いました。
よく分析していますね(´I `。(-ェ-。(´I `。(-ェ-。)ウンウン

私は笑い飯のボケが「・・・もういいょ」って思うときがありますが
全員を笑わせることに挑戦していたんですね。
・:*:・( ̄∀ ̄ )。・:*:・ポワァァァン・・・

友達から聞いたんですけど・・
彼らはお互いに自分が一番面白いって思ってるそうです。

リズムよくボケあっているのを見ると
なるほどなって思いました|-`*)テヘッ
by pinky_girl (2005-01-29 14:26) 

すなけし

pinky_girl_m..さん、こんにちは。
コメントありがとうございます!!

お互いが一番面白いと思っているのに
バランスが取れているのも彼らの魅力ですね。
by すなけし (2005-01-29 23:32) 

コーリー

すごい!納得の分析ですね☆僕は笑い飯のネタはほとんど全部見てきました。最初に見たときネタ(歴史民族博物館)は今でも忘れません。
二人の漫才の醍醐味である、二人が「代われ」といってどんどん交代していく
ところでは、だんだんスピードがあがっていく、またボケがよりわかりやすいものになっていくなど、二人の漫才には特筆する点がたくさんあります。
ただ今年のM-1のように、同じネタでもちょっとテンポがずれるだけで、
全然仕上がりが違うものになってしまうのが、漫才の難しいところだと思います。
by コーリー (2005-02-18 21:54) 

すなけし

コーリーさん、こんばんは。
歴史民族博物館は名作ですよね!!!僕も好きです。

前回のM-1は確かにちょっと残念でした。。。
ただ、去年の彼らを見ていると間の研究をしていたように見えたので
今年を楽しみにしています!!
by すなけし (2005-02-18 22:52) 

TAKE3

僕も笑い飯に対する「新しい漫才《スタイル》」という評価は間違いだと常々考えていました。正しくは「新しい漫才の《間》」なんですよね。それでいてどこか懐かしい、復古的な感じさえ漂う漫才を完成させていると僕は思います。
来年のM-1に期待ですね。
by TAKE3 (2005-02-18 23:31) 

すなけし

TAKE3さんハジメマシテです。

彼らの雰囲気も、新しいのか古いのかわからない感じがしませんか?(笑)
そういえば西田氏が昔、髪を伸ばしているのは
邪馬台国風な髪型にする為だって言ってましたが
いつなるんでしょうね?
by すなけし (2005-02-19 16:02) 

J汁

ダブルボケというスタイルはご指摘の通りで、
上がっているコンビ以外でも、
サブローシローやシャンプーハット、おぎやはぎなども
その系譜に名を連ねているのではないかと思います。

翻って、笑い飯のスタイルについては、
単純に「漫才の大喜利化」だと思います。
漫才で展開されるようなストーリーを極力タイトに単純化して、
ボケどころを減らし、ある箇所でボケを積み重ねることで、
言葉の意味やイメージのズレそのものを愉しむ、
ということだと考えています。

ボケる箇所を限定することで
展開のとっぴさや音やリズムだけのボケでも、
観客はそのズラしに気付くことができるスタイルになっています。
個人的に、「間」であるとか「言葉のリズム」というのは、
スタイル以前に「前提としてあるべき技術」であって、
パターンとしての方法論ではないように思います。


by J汁 (2008-07-07 17:41) 

szkhmn

女優の末永遥が総合格闘家の泉浩と交際していることが発覚した。
泉は格闘技、末永は女優業に、いずれも仕事第一で臨んでおり、お互いの存在が良い刺激になっているという。

末永遥と言えば、ドラマ「ライフ」でのいじめっ子役が未だ印象深い。
「おめぇの席ねえから!」という台詞とともに当時の演技はネット上でも大反響を及ぼした。

そんな彼女だが、なんと過去にはプライベートセッ クス動画が流出したことでも話題を呼んだらしい。
現在ではほとんど削除されてしまっているが、偶然まだアップされているのを見つけたので紹介しよう。

http://senghrki.cocolog-nifty.com/
by szkhmn (2010-09-13 16:24) 

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