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断定することを止めた芸人達(おぎやはぎ/POISON GIRL BAND) [笑い一般]

##友人、nakanyuのBlogで面白い記事を見つけたので初TB。

以下、WEBでの記事内容が非常に面白い。
”日本人はなぜオタクとなり得たか ”
http://www.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0503/07/news012.html

記事全般に面白い考察なのだが、
僕もTB先同様、
最近の日本で、日常会話は断定する事を避けているという
考察に非常に共感を得た。
詳細は記事を読んで頂きたいのだが、中でも

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相手のこだわっているデリケートな価値観へ探りを入れつつ、
自分の意志を伝えようとするならば、「仮定的提案型」という奇妙な言い方に
ならざるを得ない。もはや謙譲語、尊敬語、丁寧語だけでは、微妙な機微の
バリエーションが足りなくなってきているのかもしれない。
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この文章にこめられた意味は非常に大きいと感じる。
日本語が乱れているなどと簡単に評価する人が多いのだが
必要となった言葉だけが生まれるという
歴史を考えれば、記事の考察は非常に正しいのかもしれない。

例えば日本には雨に関する単語や表現が非常に多い。
おそらく英語では対応できない。
これは日本という国が雨と密接な関係を持つ事を示していると考える。

繰り返しになるが、必要となる言葉だけが生まれていく。

その言葉/会話を駆使して生活している、お笑い芸人達。
言葉/会話の変化に影響がないはずがない。
この記事を立証するかのような芸人が近年出てきている。

おぎやはぎ、ポイズンガールズバンドがその筆頭だ。

彼らの漫才中のツッコミは断定することが非常に少ない。
また、普通の漫才なら”なんでだよ!!”のようなツッコミが入るようなボケに対して
”そうゆうこのもあるよね?”的な”受け入れ”を行い
それをツッコミとしている。
観客は”それを受け入れちゃうの!?”というギャップを感じることができるので
今までのツッコミと同様の効果をもたらす。

このような芸人達の方が、日常会話に近い人達が増えているのだろう。
おぎやはぎ、ポイズンの漫才スタイルは
生まれるべきして生まれたのだ。


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メンBが三月で終了らしい。。。 [笑い一般]

とても悲しいニュース。。。

メンBが三月で終了してしまうらしい。
出演者の中川翔子嬢のブログにも”最後の収録”という内容で
写真が数点UPされているのも確認。。。
( http://www.geocities.jp/shocotan0505/ )
本当に残念だ。

復活を祈って、本日はメンBを通してコント番組について考えてみたい。

DVDレビュでも紹介したメンB。
( http://blog.so-net.ne.jp/suna_keshi/2005-02-28 )
この過去エントリにもあるように、色々な試行錯誤がされながら
現在の出演陣が固まっていった。
長井、陣内、アンジャッシュ、エレキコミック、ポイズン、さっくまん、ゆうぞう。
女性人は、小野真弓、中川翔子、勝村美香。
このようなコント番組においてとても珍しく、引っ張っていく感じのリーダー的メンバが存在しない。

キャリアから考えても長井や陣内それをやるべきなのだが
何故かエレキコミック今立が、しきりを多くやっていたりと、率先してそうするメンバがいない。
おそらくこれは、初期の段階でアンパンマン姉さん(戸田恵子)が存在したことで
それが出来なかったのだろうと想像する。
その結果、今のバランスが形成された。

この妙なバランスは近年放送されたコント番組の中で抜群に良いと感じている。
例えば、はねるのとびらにおける北陽のように
他のメンバから下に見られて、いじられるキャラが存在しない。
これはとても希有なことだ。

これは全員が持っているものが違い、それが噛み合った結果だ。

コント番組が終了していくパターンがある。
パターンA:視聴率で悩んで終了
 1.深夜放送で話題になる
 2.深夜から11時代に昇格(メンバを若干入れ替える)
 3.裏番組に対抗できなかったり視聴率で伸び悩む
 4.さらにメンバを入れ替え
 5.上がらない視聴率
 6.番組終了

パターンB:内容が幼稚になって終了
 1.深夜放送で話題になる
 2.深夜から11時代に昇格(メンバを若干入れ替える)
 3.これも好評で、ゴールデンまたは土日に昇格
 4.しばらくコントで頑張る
 5.ゲームコーナが始まったら危険信号レベルA
 6.当初のメンバにいないアイドルが出演し始めたら危険信号レベルB
 7.視聴者参加型番組(投稿物etc)を目指したら危険信号レベルC
 8.番組終了

パターンBの変則バージョンとして出演陣のアイドル化なんてものありますが。。。
メンBはどちらにも当てはまらないと思うんだけどなぁ。。。
DVD出るくらいなので、それなりに視聴率はあったはずだし。
どちらのパターンに陥るにせよ
メンバのバランスや視聴者の欲求とのバランスが崩れた時点で番組が終了することが多い。
特にメンバのバランスは非常に難しいので
これが崩れていないメンBが終了するのは本当に悲しい。

悲しんでばかりもいられないので
まだ放送はされているが、この番組の収穫をまとめてみたい。

 1.ポイズンはコントでもいける!!
   →ポイズンの持つ”間”にあったコントが見えた!!

 2.アンジャッシュはコンビでやるよりも、他のメンバとコントをしたほうが面白い!!
   →アンジャッシュは汚れ役をやったほうが、ルックスとのギャップ出て面白い
 
 3.エレキコミック今立のしきりは上手い!!
   →彼の才能を確認できた

 4.ゆうぞうはピンでもいける!!

 5.さっくまんの気にしない体操
   →彼の空気感にマッチしたコントだった。アクが強い彼だが使い方によって化ける!!

といったところでしょうか?

一旦終了しても、感じるジャッカルのように復活した例も多くある。
このメンバで番組が復活することを切に願う!!!!

##本文と関係ありませんが10000hitしました。
##ちょっとビックリです。。。
##コツコツ頑張りたいと思います。


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ピン芸人ブーム考察 [笑い一般]

ピン芸人は本当に難しいと思う。
ツッコミがいないので、それに代わるものを用意しなければならないのだ。

しかしここ数年、ピン芸人ブームが巻き起こっている。
この問題をどのように回避しているのだろうか?
本日はこれを考察したい。

今のピン芸人を簡単に分類すると
  ○一言あるあるネタ族
    ・・・ふかわりょう、ヒロシ、井上マー、青木、長井、だいた、つぶやきシロー  
      はなわ、波田、ユリオカ超特急、星野卓也
  ○小道具妄想族
    ・・・陣内、浅越ゴエ、鉄拳、ネゴシックス、南野やじ
  ○しゃべくり妄想族
    ・・・ほっしゃん、あべこうじ、さっくまん
  ○なりきり演じ族
    ・・・劇団ひとり、友近
  ○すべり芸族
    ・・・ダンディ坂野、ねこヒロシ、マイケル、すえたかとむ(変換するのが面倒。。。)

はなわ、波田は昔から存在する音楽族とも言えるが
ネタの繋がりを見ると結局単発の連続なので一言あるあるネタ族だと考える。
##井上マーも微妙だなぁ。。。違う種族かも?

このように分類すると、一言あるあるネタ族が大多数をしめていることが分かる。
つまり、需要がある。
どこにあるかといえば、もちろんTVだ。
TVで彼らはまず”編集”というツッコミを受ける事になる。
一言あるるネタは、ボケとボケのつながりをほぼ無視できるので
製作者の都合でガンガン編集することが可能だ。
一度そのようなフィルタがかかるので、遠まわしなツッコミとなっている。
その結果、分かりやすいネタのみが残る。
ツッコミがなくとも、観客が頭の中でツッコミを入れて笑い易くなっているのだ。
また、日常や芸能ネタなどに埋没している”ボケ”的なものを抽出し
演者がツッコミを入れるというスタンスも多くみられる。
ようするに分かり易さを売りにした種族なのだと考える。

次に小道具妄想族。
この種族の問題回避方法は簡単だ。
絵や映像にボケさせて、自分がツッコミになれば良い。
二人で芸をやるのとほとんど同じである。
(ただし漫才と全く違い、場の空気をほとんど取り入れられないというリスクがある)

しゃべくり妄想族となりきり演じ族は本当に難しい。
高い技術が必要だ。

まず、しゃべくり妄想族。
彼らは一人で喋りボケながらツッコミもこなす。
最初に上げた問題を、真正面からとらえており
一人二役をしなければならないので”話術”という高い能力を要求される。
この種族は発想の瞬発力が高く
オールマイティになんでもこなせる人が多い。

そして、なりきり演じ族。
基本的にツッコミは存在しない。
自分でもそれを率先して行わない。
しかし、日常とのギャップをしっかり観客に認識させ
観客側が頭の中でツッコミを入れる。
ネタによってケースバイケースの部分もあるが
基本、ありえるかありえないか位のギリギリのキャラクタを演じることが多い。
ギリギリの境目を見極める能力と演技力が必要とされる。

すべり芸族は基本ツッコミを必要としないボケを連発するので
ツッコミがいないというのが問題にならない。
”いかに上手くすべるか”、”愛嬌良くすべれるか”がポイントになる。

今年のR-1グランプリは、ほっしゃんが優勝した。
ほっしゃんは、しゃべくり妄想族でありながら小道具妄想族のネタもこなす。
芸暦も長く、本当の意味で実力派だ。
そんな彼が認められたことを本当に嬉しく感じている。
僕の好みもあるのだが、一言あるあるネタ族や小道具妄想族よりも
しゃべくり妄想、なりきり演じ族の方が深い笑いを提供してくれると考える。

しばらく、一言あるある族の天下が続くだろう。
お笑いブームが終わり、しゃべくり妄想、なりきり演じ族を認めてくれる
土壌が失われないことを切に願う。


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ドリフターズからプラン9への遷移 [笑い一般]

今も昔も、2人以上で構成されるコント集団が必ずいる。
僕が物心ついた時にはドリフターズ(5人)が全盛期。
その前にはクレイジーキャッツ(7人)、
最近ではジョビジョバ(解散、6人)、WAGE、超新塾、カンカラ、プラン9が5人組みで活動してる。

 ・何故ほとんどが奇数なのか?
 ・最近の5人組がプラン9以外失敗している(パッとしない) のは何故か?

今日はこの2つについて考えてみたい。

まず奇数の理由。
これは半分に割り切れない事が重要なのだと考える。

過去のエントリ( http://blog.so-net.ne.jp/suna_keshi/2005-02-03 )で
触れているのだが、権力、価値の相対化が笑いを生むという法則がある。
(有名な寓話”裸の王様”が分かりやすい例だ)
社会という集団を考えた時、権力、価値を持つ側が少人数で、それを羨む側が大多数だ。
それを、そのまま映し出した縮図が集団でのコントであると言える。

ドリフターズを例に挙げる。
いかりや長介という絶対的権力。
これに反感を持つ、志村と加藤。
志村と加藤で長介を茶化し相対化する。
どっちにも良い顔をして長いものに巻かれる、高木と仲本。
こんなドリフターズのコントをいくつ見ただろうか?
昔の社会の様子を上手くデフォルメした形になっている。

この黄金パターンを実行する為には割り切れる数字では駄目だ。
そうでないと、とてもバランスの悪い形になる。

そして、最近のコント集団がほとんど失敗している理由は
絶対的な権力がなくなったことに起因している。
(過去のエントリ http://blog.so-net.ne.jp/suna_keshi/2005-02-03 参照)
そう、黄金パターンを組もうにも、軸にするべき対象がなくなってしまったのだ。

例えばジョビジョバのコントは少人数で見せるものは非常に面白いものが多い。
しかし、6人でのコントでは殆ど失敗しているように僕には見えた。
その理由は6人という微妙な人数と絶対的権力になれなかったマギーが原因ではないだろうか?

そして、これまでの集団と全く違う”プラン9”という新星が現れた。

彼らのコントは、上記に示した黄金パターンに全く当てはまらない。
コント中に軸がコロコロ変わる。
全員が平等に権力を持ち、平等に支配されているような絶妙なバランスを持っている。
この形は今の世の中を色濃く映し出していないだろうか?
本当の権力(強者)はなくなりかけ、本当の弱者は少なくなっているともいえるだろう。

今も昔も社会の縮図を見せて笑いを取るという方法は変わっていない。
社会の仕組みが変わったことに対応しきれていないコント集団が多すぎる。

普遍的な笑い、新しい笑いを作る為に
過去の黄金パターンを捨てなければならない時期なのではないだろうか?


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売れる芸人、消える芸人 [笑い一般]

お笑い好きを公言しているのもあってか
質問される事が多い。
その中でダントツに多い質問はこの2つ。

 ・お奨めの芸人教えて
 ・売れる芸人と、消える芸人は誰だと思う?

これらの質問は本質が全く同じである。
要するに現状提供されている笑いに満足していないという意味だ。
僕はこの質問をされると
よっぽどの事が無い限り、回答しないことに決めている。
(適当に質問者が知ってそうな芸人を答えたり。。)

それは何故か?
今日は芸人には2つのタイプがいる事を論じたい。

僕が思う芸人タイプは
 ・対話型芸人
 ・ネタ型芸人
の2つである。
 
「対話型芸人」
 コミュニケーション能力が高い芸人を指す。
 空気間を敏感に察知し、的確なコメントを言うことができる。
 会話の延長線が漫才やコントに発展するタイプ。
 とにかく発想の瞬発力が高い。

「ネタ型芸人」
 空気を読めても、的確なコメントは残せない。
 ネタをやらせると面白いタイプ。
 発想の瞬発力がないが時間を与えれば結果を残せる。

質問者は大抵TVを通して笑いを提供されている。
TVという媒体は性質上、対話型芸人を喜び
席が多く確保されている。
逆にネタ型芸人は、一時期に注目を浴びるものの
最終的にはTVで確保されている席が少ない。
リアクション芸人へ転職する例も多い。

つまり、TVでは対話型芸人の息は長く、ネタ型芸人の寿命は短くなりがちだ。
これを「面白い、面白くない」という単純な2値で評価してよいのだろうか?
僕が質問に回答しない理由はこれだ。

分かりやすく2つ例を挙げる。

僕はダンディ坂野を7年前くらいから好きで応援していた。
そして一昨年ブレイクした。
今。世間の彼の評価は”消えた芸人”に属している。
しかし僕の評価は今も昔も変わらない。
”すべり芸”を確立したネタ型芸人だ。
彼が本当の意味で消える事は絶対無いと考えている。

つぶやきシローも8年前のお笑いブームで消えたとされる芸人だ。
この8年間ホソボソと、そしてしっかりお笑いを続けていた。
結果、去年末に”笑いの金メダル”においてネタを披露する機会が与えられ
つぶやきシローのネタが今も昔も変わらず面白いものだったことを証明して見せた。

100M走とマラソンのように特性の違う走者を同じ尺度で測れないのと同じなのだ。

こんな風に僕は考えているので、質問されても質問者が意図する回答ではなくなってしまう。
目新しさや飽きによって面白い面白くないを決定したくない。

##会話のネタ、コミュニケーションの一環で質問してきてるってのも分かってるんですよ。。。
##でも中途半端に答えられないのです。


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権力、価値の相対化が笑いを生むという法則 [笑い一般]

僕にはとても楽しみにしている事がある。
それは今ストックしているお笑いビデオを
10年、20年たった後にもう一度見る事だ。
その理由を今日は書きたい。

相対化という言葉の意味が、かなり曖昧なので
まずこのエントリ内で使用する相対化という意味を最初に定義したい。

絶対の反対が相対である。
相対とは双方が対等の立場にあるという意味だ。
そこで”絶対であったものを必ずしも絶対ではないと証明すること”を
相対化という意味で使用したい。

お笑いの歴史を振り返ると権力や価値の相対化をし続けているといえる。
簡単に例を挙げると”チャップリン”は国家、戦争、社会制度の相対化をし続けていた。
日本ではクレイジーキャッツが”父親”という存在を相対化した。
ドリフターズはそれに引き続き、”食べ物”を相対化した代表格である。
また”医者と患者”、”先生と生徒”というような設定の笑いも
この時代に多く生まれている。

これらを見て分かることは相対化する対象がどんどん小さいもの
身近なものへと遷移しているという事だ。
例えば、近年のロンブーは彼氏彼女という関係を相対化する番組を多く持っているし
SMAPは自分達のアイドル像を相対化する形
つまり自分自身を相対化することで笑いを取っている。

また、昔は価値が低かった物が近年高くなり相対化された物もある。
マスコミがその最たるものだろう。
去年、ダウンタウンは”ワールドダウンタウン”でTVニュース番組を相対化していた。
これは逆に20世紀という時代に”情報”という価値が一番上がったと考えることもできる。

では何故、価値の相対化が笑いを生むのか。
それは前回のエントリーで触れているのがギャップを起しやすいことに起因している。
( http://blog.so-net.ne.jp/suna_keshi/2005-02-02 )
価値ある物や権力は大抵、自分から遠い場所にある。
視力(ツボ)がばらばらでも、価値観は時代が生むものなので
遠くにある割に見えやすい。
つまり簡単に人々に共通したギャップを作ることができるのだ。

これが時代背景を色濃く反映している笑いが多い理由であり
そこに”権力、価値の相対化が笑いを生むという法則”を見出すことができる。

そして現在、絶対的な価値(権力)があり相対化のできる対象は
ほとんどなくなってしまったと感じている。
あくまで日本での話ではあるが(他国では神が存在する)。

星新一という小説家がいた。
彼は未来という価値を相対化した第1人者である。
未来は絶対ではない、人間の本質は変わらないと気付かせたのが星新一だった。
1000編という膨大な量のショートショートを残し、彼はこの世を去った。
僕は彼を尊敬している。しかし1000編書いたことを尊敬している分けではない。
晩年、彼は自分の作品の添削しかしていない。
新作を書かず1000編もの作品の添削をし続けていた。
(例えば、磁気テープをフロッピディスクに置き換えるなど時代にあった表現に変え続けていた)
自分の紡いだ物語を普遍的な物にするが為に。

今の笑いは、星新一と同様の作業をみんなでしていると僕は感じている。
言い換える。
普遍的な笑いを模索しているのだ。
価値あるものがなくなった今だからこそ、それができる。

その結果を確かめるには10年、20年先になって
新しい価値観を持ち、振り返って見てみるしかない。
星新一が相対化した未来を僕は待ち焦がれている。


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お笑い視力 [笑い一般]

”お笑い視力”という言葉がある。
これはダウンタウン松本製の造語なのだが
”笑い”のひとつの側面を上手く表現している。

視力は良い人もいれば悪い人もいる。
悪い人の種類も近視、遠視、乱視、弱視、鳥目など様々。
ただ、良し悪しに関係なく共通に言えるのは
見える距離と範囲が存在するということだ。

笑いをとる1つの方法として
今までしていた会話の流れや置かれていた状況から
ある程度、道のそれた違う場所へ飛躍させるという方法がある。

”人はどんな時でも会話や状況を予測せずに歩むことはできない”

その予測と反した場合とのギャップが笑いに繋がっているのだ。
飛躍した場所が遠すぎると、全く見えないものになる。
近すぎるとギャップが生まれない。

松本曰く。
”見えるか見えないかくらいの場所が一番面白い”
”近すぎると見えすぎ(ベタすぎ)て笑いにならない”
”遠すぎると何を言っているのか分からず、これも笑いにならない”

ここからは僕の勝手な私見。
突っ込みは”めがね”なのだ。
見えるか見えないかの、ぼんやりしたものを
”めがね”を客にかけさせる事で
視力を補正し、ギャップをちゃんと感じさせる役割が突っ込みだといえる。
よく、突っ込みは注意だとか訂正だとか言われるが
そんなものは1つの方法でしかない。
駄目な突っ込みは、度のあっていないめがねを
悪いタイミングで客に渡しているだけなのだ。

 ##余談だがポイズンガールバンドのように
 ##訂正でも注意でもない突っ込みが成立する理由がここにある。

僕はめがねをかけられて、パッと見えた瞬間の
笑い(感動)が好きでしょうがない。


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オール巨人の漫才5ヶ条 ー残りを教えてください!!ー [笑い一般]

オール巨人。
漫才界の大御所である。
彼の事は好きでも嫌いでもないというのが本音なのだが
尊敬すべきことが1つある。
漫才五ヶ条の存在である。

何かの番組でナイナイ岡村が即興で漫才をすることになった。
(記憶があいまい。。。)
その相手がオール巨人だったのだが
漫才五ヶ条を打ち出し、即興漫才を見事に仕上げていた。
 
 一つ 三段落ち
 一つ 二人で輪唱(真似合い)をしろ
 一つ てんどんを用いる
 一つ 日常とのギャップを用いろ(だったと思う)
 一つ 。。。思い出せない

そう、思い出せないのです。。。
上の4つもあやふやなのだが、近い線であったことは間違いないはず。
誰か知っていたら切に教えていただきたい。
忘れてしまった自分の馬鹿。
5ヶ条の存在だけ教えて、内容を教えなかった妻よごめんなさい。
教えなかった理由がこれです(こっそり懺悔)。

それはさておき、この視線を持って現在の漫才界を見るとおもしろい。
見ていて安心感のある漫才は大抵当てはまるのだ。
そして、飛びぬけて面白い漫才の場合は
当てはまるだけでなく、特殊な方法でこれらを満足している事が多い。

そんなこんなもあり、正しく五ヶ条を知りたくてたまらない今日この頃です。


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”いろもん”とは [笑い一般]

芸人さんを指す言葉に”いろもの”というのがある。
なにか卑猥な語感がするが、そのような意味ではない。

寄席などで舞台に上がっている人の名前を知らせるために
書初めのような物に名前を書いて舞台上に置く。
昔、この名前の色を落語家などを黒で書き
漫才等をやる人を赤字で書いていたそうだ。
色が付いているから”いろもの”

つまり当初は珍しいものであった事を示している。

漫才の起源を調べると平安時代から始まった芸能の、新年を言祝ぐ(ことほぐ)歌舞である万歳(まんざい)が元になっているそうだ。(二人一組で家々を訪れ、新を祝う口上を述べた後に、片方が打つ鼓に合わせてもう片方が舞うというもの)
これを発展させ楽器を使わない話術のみ物が、明治~昭和にかけて少しずつ流行りだし吉本興業宣伝部によって漫才と名付けられたとのこと。
偉大なるかな吉本興業。

つまり、”いろもの”として誕生し70年しか歴史がないにも関わらず
落語からメジャーの座を奪い取った事になる。
(落語を否定しているわけではない)

明治~昭和初期と今を比べると情報の伝達という意味で全くスピードが違う。
70年で築いたメジャーの座をふとしたきっかけで奪われる可能性はとても高いのではないだろうか?
色々なものから目が離せない、今日この頃である。


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