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ビートたけしは、お笑い芸人なのか? [芸人評]

欽ちゃんは現役の芸人だと思う。
変わらず、根っからのエンターテナーだ。
お笑い芸人すぎるほど芸人な明石屋さんま。
笑福亭鶴瓶もしかり。

息の長いお笑い芸人達のなかで、一際異彩を放っている人物がいる。
ビートたけし。
僕の中で彼の位置は本当に微妙だった。

”ビートたけしは今もお笑い芸人なのだろうか?”

その答えが昨日見えた。

”たけしの誰でもピカソ”で岡本太郎の特集が組まれていた。
僕が記憶している岡本は、とにかく眼光が鋭く
何者かと格闘しているようで怖いという印象しかなかったのだが
彼の死後、色々なメディアから溢れてくる逸話を聞き
その眼光に憧れのようなものを持つようになった。

そのような背景もあり、食い入るように番組を見ていると
岡本語録の一部が紹介されていた。

  今日の芸術は
  うまくあってはいけない。
  きれいであってはならない。
  ここちよくあってはならない。

まさに岡本太郎!!といった言葉だが、それに対してビートたけしは

”芸術を映画と変えて読むと面白い”

と話していた。

僕は思う。

”芸術を笑いと変えて読むと面白い”

と答えるビートたけしでいて欲しかった。
なぜならば、この言葉は決意の言葉なのだから。

岡本太郎は本当に”うまく”もなく、”ここちよく”もない作品を作り続けたのだろうか?
違うはずだ。
彼は彼の作りたい物だけを作り続けていた。
つまり岡本太郎が思う、”うまさ”、”ここちよさ”を追求していたのだ。
妥協しない、自分の思う最高の作品を作りたいという決意が
あの言葉には込められている。
それを示すかのように、岡本は一度も作品を売ったことがないそうだ。
売ってしまうと自分の物でなくなってしまうので嫌だからというのを理由に。

ビートたけしは、お笑いよりも映画で頭の中が一杯なのだと分かる。

映画に対しては自分の道を曲げない覚悟で挑んでいるのだろう。
何度となくビートたけしの映画で泣かされた。
「HANABI」にいたっては、泣いていない時間の方が少なかったかもしれない。
覚悟の上で生まれた作品であることが分かる。

一方、お笑い芸人としての活動にその覚悟が見られるだろうか?
お笑いよりも映画を大切にしているような発言から読み取れるように
覚悟のある笑いを何年も見ていないような気がする。

ビートたけしは、もうお笑い芸人ではない。

少し寂しいが、その事実を認めよう。
その覚悟がないことも分かった。

TVの常識を多く破壊し笑いの一時代を築いた、ビートたけし。
正に上の岡本太郎の言葉を”お笑い”に置き換え、実践していた男だ。
昔、そんなビートたけしの鬼気迫る目が岡本太郎と同様に怖かった。

今、TVに映る彼の目から力強さを当然、感じることはない。
他のベテラン芸人達は、いつまで岡本太郎と同様な目をしていられるのだろうか?
そんな事が気になってしょうがない。
なぜならば、ビートたけしですら、失った眼光なのだ。


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