人を傷つけない笑いはない
ほとんどの思い出は脚色されている。
実際、今思い出せる事の殆んどは僕というフィルタで切り取った現象の1部分でしかない。
思春期。
今では大昔のその1部分。
そこに笑いに没頭するきっかけが存在する。
そのころの僕は他人に踏み込むことを恐れていた。
当然のように、その逆もしかり。
簡単に言えば単なる気難しいやつである。
それを聞いたとき僕は深く傷つき、何かが吹っ切れた。
たぶん、それがきっかけ。
もちろん僕の記憶が正しければの話である。
記憶と思い出の違いなんて、ここで論じるのも恥ずかしいが
なんとなく似ているなって思うことがある。
砂消しゴムの消し跡。
インクは削れているけど、ウッスラと跡が残っている。
時間とか、どんどん増える思い出とか、そんなもので
僕の大事な思い出は消えていくが
砂消しゴムの消し跡のように沢山の記憶が眠っている。
そんな、消えなかった跡を少しでも、すくい出したい。
何が跡になっていくのか感じたい。
まずは、この初心がどうなるのか確かめる為のスタートラインに今日立った。
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